思っているのは自分だけ。世の中は昨日と同じに動いているだけだし、明日も変わらない。
水や食べ物はどこからやってきてどこに行くのか。少なくない子どもたちは、食料というものがスーバーマーケットに並んでいるようにパッケージ化されて出てくるものだと思い込んでいる。現在では、切り身ででてきた魚の本来の形を知らない子どもも多いらしい。そのような環境で大人が提供しながら、「自然を大切に」などという絵空事を子どもに説いても説得力はゼロだった。教科書で毎年のように教師から教えられる押し付けがましいエコロジーなんてそれこそまっぴらだと思う。実際にフィールドにでないとわからないことはたくさんあるのだ。
なんだかね、たとえばさ、うれしいとか悲しいとか、不安とか、色々あるじゃない。テレビみて面白いなあとか、エビ食べておいしいなあとか、なんでも。でもね、そんなのっていつか仕事で読んだり触れたりした文章の引用じゃないのかって思えるの。何かにたいして感情が動いたような気がしても、それってほんとうに自分が思っていることなのかどうかが、自分でもよくわからないのよ。いつか誰かが書き記した、それが文章じゃなくてもね、映画の台詞でも表情でもなんでもいいんだけど、とにかく他人のものを引用しているような気持ちになるの
「さよならの別れの言葉をいつも心の底に持ってる関係でいようね」と話し合ったことがある。そして嫉妬心とは無縁な自分になろうと努めた。安部公房が結婚した年に、やっと私は「オギャー」と産声を上げた年の差なのだ。夫人に申し訳ない気持ちはあったが、「夫人のほうが私の女優としての才能を認めている」と安部公房が話してくれたことがある。
「ていうからなんで傷つくことリスクみたいに言うの?傷つくことはなんのマイナスでもなくただの感情でしょ。しかも一瞬だけの。それって生まれた時から最初から、必要経費として計算に入れておくべきじゃないの?」
どうしてたとえ話をするの、どうしてそうやって話をすりかえるのか。はっきりお前の言ってることは間違っていると言えないのか。説得力をほしがるのか。否定されるのがそんなにこわいのか。間違っていると指摘されるのが恐ろしいのか。大丈夫だよ、わかるよ、味方だよって言われたいのか。私は私に言いたかった。
感情が美しくなるように、正しくなるように、行動を積み重ねて、だからなんだよ、動物のくせにきれいな魂になりたいとか思っているのって目しか化粧しない女子みたいにみっともない
2016.4.15

また歯が抜ける夢を見た

2016.4.13

明日またつかうお弁当箱を毎日棚にしまうところが自分の一番気持ち悪いところだと思ってる。

2016.4.10

穂村さんのにょにょっ記を会社の人に勧められて読んだのがきっかけで最近また日記を付け始めたのだけど、過去の自分の日記遡ると本当におもしろい。

「思ったことを柔らかい言葉にしてみる」ってゆういつかの月間目標がすごくいい言葉だと思ったり、23歳くらいまで潔癖で古本屋と図書館が苦手だったことに驚いた。